手を貸せないじゃなく、貸さない。頼れる子どもサポーター
おはようございます。ヒミツキチ森学園グループリーダーのあおです。
今日は我が学園の「子どもサポーター」についてお話ししたいと思います。
普通の企業ならインターンになるのでしょうか、「子どもサポーター」が3名います。皆、それぞれ別のことをやっていて、週に1回〜3回、学園に足を運んでくれて、子どもたちと一緒に過ごします。
昨日、すごく嬉しいことがあったので、ご報告します!
たくさんの成長が見られる子どもたちとの生活の中…昨日もそんな場面が多くあったんですね。
初めてのことを一歩踏み出す瞬間っていうのは、すごく判断に迷うところです。
手を貸すのか貸さないのかが、子どもの様子の詳細な観察と、自分自身が持っている価値観などをすり合わせて、瞬時(5秒程度)で判断しないといけません。
手を貸しすぎるのは決していいことではないのですが、先生にとって子どものために手を貸すことは、最善のように思われれがちです。
見学の方が手を貸しているときに
「あ、そこは見守って欲しい!!」
と願ったことがまぁたくさんあります。
※だから学園では、基本的に見守るスタンスでお願いするようになりました。
ボクが教員時代にも、学生ボランティアの方が、見守って欲しいところにガンガン介入していってしまって、後から読んで話をするなんてことが多々あったんです。
あんまりじっくり話ができないので、学生さんにモヤモヤが残る事態となりがちでした。当時の学生さん、すみません。
「手を貸せない」じゃなくて、機を見て手を貸さないってことが多々あるんです。そこにはボクにもたくさんの失敗があります。
それを踏まえた上で、昨日、初めての挑戦をするケースがいくつもあったんですが、ボクが「ここは待つところだな」と見守っていると、子どもサポーターの方も、ちゃんと見守ってくれたんです。
多分9割ぐらいの人(先生や教育に携わる人)が手を貸す場面だったので(本当、誰でも貸したくなるよ)、一緒に待ってくれたことがとっても嬉しかった。
その子の一歩の踏み出しを待っていて、踏み出した瞬間、顔を見合わせて、一緒に喜ぶことができました!
この人の感覚ってとても素敵だなぁと思ったんです。
そうかと思えば、別の子どもサポーターの人は、こんな場面がありました。
ある子がyoutuberの映像の撮影をするときに、どう話そうか悩んでいるシーンがありました。
ボクは割とそういう時は体育会系気質が出ちゃうので、「やってみてできなくても悔しい経験を積むってのもいいのでは?」ってなっちゃうことがあります。いつもすみません💦
でもある子どもサポーターがそっと寄り添って、その子の言葉を引き出していました。
授業後、振り返りの時に話を聞くと
「私も発表がすごく苦手だったから、気持ちがわかる。質問するようにしたら、話すことができた」と。
ボクにはやり取りの中で撮影するっていう視点が完全になかったので、すごく勉強になりました。
手を貸す視点、タイミングってのを見極めていて、すごいなぁと思いました。
手を貸す時、手を貸さない時、そこの見極めってすごく難しいと思うんです。
高学年の担任をしていたときには、「手や口を出さないで良かったー。信じて良かったー」と思う瞬間が、多々ありました。
1年の前半と後半では、手を貸す回数というか先生のあり方は全く異なるわけですが、その子どもたちの力への信頼が持てたのも、場数が必要でした。割と同じスタンスでいる先生多いのでは?
少なくともボクはこんなに早くはできなかったんです。
今、子どもサポーターの皆さんが、それを掴んでいることが、凄すぎる。こういうサポーターと一緒に過ごせる子どもたちは幸せだなぁと思うんです。
サポーターの皆さん、あんまり後輩を育てることが得意じゃない自分がいますので、ぜひぜひたくさん話しかけてくれると振り返りが進みます。よろしくお願いします。
この場を借りての日々の感謝とお願い!でした。
現場からは以上です!
うれしい悲鳴なのですが、9月いっぱいで今年度の編入はいったんストップさせていただきます。お悩みの方、いらっしゃったら、こちらが届くと嬉しいです。
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