対話と呼吸
おはようございます。
グループリーダーのあおです。
さて、今日は「対話と呼吸」というテーマ。
ヒミツキチ森学園の学園サークル
学園サークルが金曜日にあった。
テーマは、バースデイ催し(年4回ある)のお楽しみの中身について。
子どもたちが何をやりたいかを話し合っている。
この日は「対話って呼吸だよなぁ」って、確かもう一人のグループリーダーが話してくれた言葉を、子どもたちに伝えるところからスタートした。
対話って呼吸のよう。
息を吸うは、相手の話を聞く。
息を吐くは、相手に話をする。
吸い続けている、つまり相手の話を聞き続けていると、そこには自分がいない。
逆に吐き続けている、こちらの想いで相手がそこにいないように話すと、これまた一人でいるよう。相手がいない。
だから、両方が大切。自分と相手、両方いるのが大切。
学園サークルも19人がここにいるけど、きっと一人一人の対話から始まる。呼吸しあってやっていこう。
そんな話だったと思う。
話し合いの最中に、ある子が一人だけ、他の子と違う意見だったことがあった。
その子はなかなか、そこに留まり続ける。
どちらかというと、息を吐かずに辛くなっていたのかもしれない。
ヒミツキチの子たちは、そういった誰かの呼吸に敏感に気づく。
隣に座っている上の学年の子が、色々と聞いてみている。
ボクも横にちょこんと座って、聞いてみた。
「どうしてもって感じ?」
「うん…そういうわけじゃ。」
「みんな、なんでそっちを選んでいるんだろうね?」
「わからない。」
そこで、ボクも気になって聞いてみた。
「今月誕生日の子は、やりたいことは言ったけど、どうしてやりたいかまだ聞けてないんだよね。それ聞いてもいい?」
該当する子が答えてくれた。
するとその話を聞いて、ちょっと気が変わったよう。
「だったら、私の時に、どうしてもやりたいことやろう!っと。」
と話して、軽やかに意見が変わったことを表現していた。
ボクとその子は同じ誕生月だったから、
「じゃあそんときは、俺らのやりたいことやろうな」
と。
吐き出す息の質、吸い込む準備の質
ここで感じるのは、対話の際にどれだけ、その言葉の裏にある想いを乗せられて伝えられるかということだ。
自分の表面上の「あれやりたい」だけを表明していても、話し合いは進んでいかない。
その時に息を吐く側は、なぜやりたいのか、どうして自分がこだわっているのか、その奥にあることを言葉に出せたらいいと思う。
学年が上がるにつれて、ちゃんとそれがうまくなっていく。
そして呼吸を吸う側もそう。
その人が吐いたものの裏にはどんな背景があるか、どんな想いがあるか、聞く準備が必要になる。
それをしないと、相手の言葉の裏にあることが自分の耳に、心に届かないのだ。
やらなくちゃいけないというよりかは、この吸ったり吐いたりの質が高い状態を、一人また一人と増やしていくこと。
そうやって、少しずつできるようになってきたらいい。
「ことばの焚き火」という本がすごくいい。
葉山でも活動されている方々が書いている。
焚き火を囲んだあの時間のようなものが、うちの学園にも生まれるといいな。
踏み込む、問いかける
この日の話し合いでは、自分が踏み込んで問いかけることがあった。
呼吸は上手にできてきているが、一歩踏み込むことが、うちの学園の課題だと思う。
言いにくいことをどう伝えるのか。
批評的なフィードバックをどう返すのか。
これらをできるようになりたいというのは、夏前までに、高学年の願いとしては聞いていた。
ここができるときっと強くなる。
そのために、自分ができることをやっていきたいと思う。
お読みいただきありがとうございました。
それでは今日も良い1日を。
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